日本語の破壊者を礼賛してきた日本人~三島由紀夫が叱った現代日本⑩
日本人は豚になる~三島由紀夫の予言
■地元の蕎麦屋を守るということ
劇作家の福田恆存が保守について語るときに、地元の蕎麦屋をよく例に出したのは有名だ。しかし、有名な話のわりにはどういう文脈で語ったのかあまり知られていないのではないか。
三島由紀夫は福田との対談「文武両道と死の哲学」でこう述べる。
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体制というものを守るということでは、われわれは、とても共産主義なり社会主義に対して、アメリカ及び自由諸国の一陣営の中の一国としての民主主義体制を守るということは、ぼくは弱いと思うんだね。
そこで出てくるのは、やっぱり国体の問題と天皇の問題ですよ。どうしても最終的に守るものは何かというと、天皇の問題。それでもまだあぶない。カンボジアみたいに王制でだね、共産主義という国もあるんだからね。
(中略)
そうすると何を守ればいいんだと。ぼくはね、結局文化だと思うんだ、本質的な問題は。
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福田は同意して言う。
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伝統だとか、文化とかいうと、なんだか唯美主義的に聞えるけども、実は決してそうではなくて、たとえばうまいソバが食いたい、それを作ってもらいたいというささいな日常的な生き方に至るまで、われわれの生き方を守るということでしかないんだよ。ところが、そういうものを、明治以来気ちがいのようになってぶっつぶしてきたわけだ。それで先進国とかいうものになって、やっと夢はかなったんでしょう。敗戦はしたけれども、そのおかげで先進国にのしあがった。そういうことに日本人としての誇りの拠りどころを求めるというのが関の山で、日本の文化を守ろうなんて言ってもぜんぜん通用しない。
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三島や福田が言葉の破壊に警告を発したのは、言葉こそ「日本」であるからだ。
三島も福田も「文化を守る」のは「おのれを守る」ことだと言う。
しかし、今の時代はそこが切断されている。
福田が保守運動を嫌ったのは、福田が保守であったからだ。保守とはイデオロギーによって熱くなり、「われわれ保守派は!」と大声を出して市民運動を始めるようなものではない。
福田は西欧近代思想を踏まえたうえで保守を正確に理解していたので、数々の誤解の上に成り立っている「自称保守」に我慢ができなかったのだろう。